気に入らない仕事はしなかった北斎

せっかく、引っ越し魔である葛飾北斎が出てきたので、彼が、いかにモノをもたない生活者であったか紹介しましょう。

葛飾北斎は1999年のアメリカ雑誌LIFEの企画、「この1000年でもっとも重要な後席を残した世界の人物100人」で、唯一、日本人から選出されたほど高い業績を残していますが、生前は多くの画家同様、金銭的に豊かではなかったといいます。

北斎の画工料は他の浮世絵師の2倍だったといいますが、画工料が届いても包みを開けもせず、米屋や薪屋が来たら画工料の入った包みをそのまま渡すほど金銭感覚には無頓着だったそうです。

衣服は雑な手織りの紺縞木綿、柿色の袖なし半纏をまとって足元はわらじか麻裏の草履という出で立ちで見た目、みすぼらしく、食事は必ず出前か他の人が作った料理のため、家には調理器具はおろか食器さえありませんでした。

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赤貧だった理由は金銭に無頓着というだけでなく、気に入らなければたとえ誰が相手でも仕事はしない、という主義だったことも影響しています。

葛飾北斎が喧嘩した相手はオランダ商館付きの医師シーボルト、歌舞伎役者の尾上菊五郎三代目、津軽藩主と史実に残っているだけでも錚々たるメンバーで、当然、画工料が高いのは分かっていながらも自分の流儀に合わないというだけで仕事を蹴っています。

もっとも、後日になると喧嘩相手はすべて北斎に謝罪する形で和解しているというのも事実です。

金銭やモノに執着はなくとも自分の生きる道に忠実であることは、モノの持たない生活者の金科玉条ですが、それを体現した生き方が葛飾北斎といえるでしょう。

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